糸魚川剣道連盟 初稽古
午前10時から、糸魚川剣道連盟初稽古が糸魚川小学校講堂において行われました。
新潟県立糸魚川高校剣道部のOB会:糸高剣友会の総会が本日午後4時から行われますが、その合同稽古を兼ねています。多くの参加者を得て、活気のある稽古会になりました。
「一年の計は元旦にあり」と言いますが、大切な一年の始まりの稽古です。「今日の稽古が今年一年の稽古を左右する、くらいの気持ちで稽古しましょう」と最初の挨拶でお話ししましたが、私の稽古はちょっと反省の要素が強かったので、今年一年、反省の連続となりそうです。(笑)
「初心忘るべからず」
誰でも耳にしたことがあるこの言葉は、世阿弥の言葉です。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違ったようです。
世阿弥のいう「初心」とは、その時々の試練に直面した時の対処方法、心構えや考え方を意味しています。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。または、「その時々の芸のレベル」を意味するとも解釈されます。つまり一番目の「是非とも初心忘るべからず」は「最初の時の芸の未熟さを忘れてはならない」ということです。
世阿弥は、晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、第二に『時々の初心忘るべからず』。第三に『老後の初心忘るべからず』」の、3つの「初心」について語っています。
【ぜひ初心忘るべからず】
若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。
【時々の初心忘るべからず】
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演"じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。
【老後の初心忘るべからず】
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが"「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。
このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているのです。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということなのです。
今の社会でも、さまざまな人生のステージ(段階)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なことなのです。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのです。
我々も、幾つになっても挑戦し続けていたいものです。
今日は、もちろん全員と稽古することは出来ませんでしたが、終礼で数えてみると13,4名との稽古でした。気温も低いので、息が上がることはありませんでしたが、腕が重く感じたのは疲れていたのでしょうね。
いつの稽古も真剣勝負。目の前の相手より、自分が相手の稽古もあります。そしてそのような稽古は、人生の全てに通ずると思います。
「有り合わせを尽くして、今年一年頑張ろう」と思わされる初稽古でした。