8/23(日)糸魚川ジオパークが世界ジオパークに加入することが認定されました。
この日は、「糸魚川ジオパーク キックオフ・フォーラム」が開催され、その席でめでたい発表となりました。司会のNPO理事長の野本幸さんから発表され、東京の米田糸魚川市長とネット中継がつながり喜びの表情が伝えられました。
ネット中継の米田市長を囲んで記念撮影です。
右から
渡邉看護大学学長(講師)
久保ジオパーク推進市民の会会長
高瀬商工会議所会頭
米田市長(ネット中継)
本間副市長
倉又市議会議長
竹田教育長
糸魚川ジオパークの歩みです。
宮島学芸員の「ジオパークって何?」
での、スクリーンを写しました。
特筆すべきは、ユネスコの世界ジオパークが2001年に始まったのに対して、糸魚川ジオパークは1991年に「ジオパーク」を使い始めたことです。
「糸魚川に断りなくユネスコが・・・」というわけです。
元上越教育大学学長で、新潟県立看護大学学長の渡辺隆さんの
「地域に活かそう!糸魚川ジオパーク」
講演がありました。
娘が上越教育大大学院に通っていることもあり、後でご挨拶させていただきましたが、人柄のにじみ出る講演内容で、「モチベーションの高さが人生を変える」という言葉が強く印象に残りました。
ワークショップ
「市民一人ひとりが出来ること」
が行われ、ファシリテーターとして、家内や娘もお手伝いさせていただきました。
「自分で何が出来るか」
「自分では出来ないけど地域社会、行政などで何が出来るか」
というテーマで各自がポストイットに書き込み、それを最後にファシリテーターが発表しました。
続いて行われた懇親会では、商工会議所の副会頭Y岸さん、建設会社社長のI又さんに挟まれて、楽しい会話が続いて一歩も席を動かずに終わってしまいました。いいのかな?
二次会にも誘って頂き、楽しい時間を過ごしました。
挨拶の副市長もいい顔をしていましたね。
ジオパークはまだまだこれからです。
「全てをジオパークにこじつけてでも関連付ける癖をつけること」
ですね。
「ジオパークで糸魚川市をどうするのか」
「ジオパークで糸魚川市を何処に持っていくのか」
「ジオパークで得られる糸魚川市の将来像」
を明らかにして、各論に入っていかなければなりません。
ある所で久しぶりにあった人に
「伊藤さん、あんたに訊きたいことがあったんだ。『ジオパーク』ってなんや。あんなもんに金を使うんだったら、市民税払わんぞ。」
と言われたことがありました。
「これからの糸魚川市はジオパークで良くしていくしかない。100年に一度のチャンスで、なんとしてもものにしなければならんので・・・・」
というように色々お話ししましたが、最初のような言葉が出るのは、将来像を示せていないからです。
市民にジオパークを広く理解し協力してもらうためにも、最初にやってもらいたいことです。これまで、議会でも再三言っていますが、作業は遅れています。職員体制も7月から1名増員されましたが、まだまだ人員不足です。認定されてから、では遅いんですけどね。
「日本初の世界ジオパーク認定」と報道されるとお客さんが来ます。
「何にもなかった」と報道されてしまうと、取り返すのに大変な苦労をすることになります。
内閣府の「地方の元気再生事業」補助金に応募し採択されたので、ジオパークサテライトオフィスをはじめとして具体的な動きが出て来て、この日のキックオフフォーラムも開催されました。
この補助金の申請も民間からの発議によるものです。この発議には私も多少関わっていますが、民間の柔らかい発想がなければ叶わなかったでしょう。
「ジオパーク(糸魚川市)を思う4人で酒を飲んだところから、動きが始まったね」と話していました。
さあ、これからです!
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